ぺぽー

絶対に検索してはいけないものまとめなるものを見て、とある小咄。

カービィ 空を見上げる」
星のカービィのマンガを書いていた作者の近況。編集者と色々あって鬱らしい

コロコロコミックで連載してたカービィ漫画読んでた。僕らの世代だとコロコロと言えばミニ四駆ハイパーヨーヨー、ビーダマンなどの漫画が流行った時期だが、カービィやマリオなんかの任天堂漫画は安定したおもしろさがあった。書いてあるとおり「カービィ 空を見上げる」で検索してみると、こんなブログが見つかる。簡単にまとめると、作者のひかわ博一先生が低迷期に編集者から追い詰められて鬱病を患い、漫画が打ち切りになったという内容。真偽はどうあれ、コミック表紙の変化やコメントを見ると何だか泣けてくる。


1996年ごろだったか。札幌の今は無きそごうデパート(現ESTA)の屋上で、ミニ四駆の地区予選大会*1が開催された。出場するわけではないが、ブロッケンGの先行販売イベントのため、友達と連れ添って会場へ行った。何千人もの同世代の子ども達で溢れかえる様は、まだ10歳だった僕にとって驚きだった。

何戦か試合が終わった後、ステージ上で派手な衣装を着ている、子どもから見ても明らかに異質な大人がアナウンスした。ミニ四ファイターだ。

「残念ながら負けちゃった出場者は、そちらでひかわ博一先生から記念のサインをもらってください!」

会場奥を見ると、ひかわ先生らしき人が机の前で座って待っている。長い黒髪を真ん中で分けた、恰幅の良い優しそうなおじさん。初めて生で漫画家を見た僕でも、「あ、あの人は漫画家だ」と容易にイメージできる人だった。ミニ四ファイターの一言で、ひかわ先生の前に子ども達がドッと押し寄せる。大会出場者は首からぶら下げている選手番号を書いた紙にサインをもらえるらしいのだが、当然関係のない子ども達の方が多く集まった。それでもそうした子ども達はサインなどもらえず、ひかわ先生の前で列をなす出場者たちを羨ましそうに見ているだけだった。


札幌の春は寒い。空も曇り空で寒風が体を突き刺す。他人のレースをそろそろ見飽きた僕と友達は、デパート屋上の管理室のようなところで暖を取っていた。僕ら以外に子どもはおらず、大会関係者と思われる大人たちがいそいそと動いていた。そんなとき、数人の大人たちに囲まれながらひかわ先生が部屋に入ってきた。僕らは願ってもないチャンスと握手を頼んだ。ひかわ先生は快く応じてくれた。周りの大人たちは妙な表情で、視線を外に向けていたのが不思議だった。

「あのーサインもらってもいいですか?」

友達が言った。先ほどひかわ先生に群がる子ども達を見た僕は、心の中で「おまえ、それはなしだろ…」と気まずい思いをしたのを覚えている。しかし意外や意外、ひかわ先生はまた優しく頷いて、カービィとは全く関係のないブロッケンGの箱の横隅にサインをくれた。おまけに、箱の裏にカービィのイラストも描いてくれたのだ。もちろんそのご厚意に乗っかって、僕も同じようにサインをもらった。その最中もひかわ先生はほとんど口を開かなくも、笑顔だけは絶やさないでいた。周りの大人たちの無言の圧力が僕は嫌になり、お礼を言ってその部屋を出、そのまま帰宅した。


ブロッケンGは帰ってからすぐ組み立て、家の前の道路で走らせた。漫画では「何ものをも破壊するブロッケンG」というような触れ込みだったのに、すぐにシールも汚れてボディもボロボロになった。コースで一度も走らせることなく、ひかわ先生のサインが入った箱に入れて、今でも押し入れのどこかに保管している。今になって思うと、ブロッケンG目当てで行ったあのミニ四駆の大会は、ひかわ先生にサインをもらったことが一番の思い出だ。上記のサイトでひかわ先生の話を読むまで、それすらも忘れていたけど。でも直接ひかわ先生に会ったおかげで、ひかわ先生が自身の優しさがために鬱病に、という話も何となく頷ける。

ふだん仕事ばっかりしていると、外に出て空を見上げるということがありません。
たまに見る機会があったりすると、うわー空ってこんなに青かったかなーって思ったりします。
子供のころは、よく空を見ていたんですけどね。
大人になると下ばかり向いて、空を見上げる余裕がなくなるみたいです。
皆さんが大人になったとき、ああそういえば、星のカービィっていう漫画があったなーと思い出してくれれば幸せです。

ひかわ先生、僕大人になりましたけど、カービィはまだ大切にとってますよ。

*1:確かスプリングカップ